Natureに掲載された日本の事業仕分けに関する論説

Natureの462号に、日本の事業仕分けに関する論説が掲載されていました。
http://www.nature.com/nature/journal/v462/n7272/full/462389a.html

これは掲載された記事に対する、編集者による論説です。
元となる"Japanese science faces deep cuts"という記事を書いたのは、
東京在住のDavid Cyranoskiで、2000年からNatureで働いています。
以下は、論説の内容を日本語に直したものです。日本語としてこなれない部分は、
少なからず意訳しています。

※なお御存知の方も多いかとは思いますが、Nature(ネイチャー)というのは、
今のところ世界で最もインパクトが大きい、英国の科学雑誌です。
ニュースなどで世界的な大発見が伝えられる際、この雑誌に掲載された
論文の内容をソースにしている場合が、結構多いです。
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”民主主義の誤謬”

公聴会によって予算を割り当てるという日本の試みは、国にとっても科学にとっても恩恵をもたらすものとなりうる。しかし、現在のやり方ではそれには程遠い。〜

 日本政府は、官僚政治における予算の意思決定過程が外部から可視化されるよう、
革命的(少なくとも日本においてはそう見える)手法を試みている。


 事業仕分けは11/11にスタートし、今週も継続しているが、そこでは民間の
専門家と政治家からなるワーキンググループ(仕分け人)が、主な
政府プロジェクト220個について官僚を厳しく尋問しており、自ら見積もった
事業の評価と概算要求を査定している。仕分け人は、事業の一部削減、
あるいは大幅削減、あるいは全て廃止を勧告した。それらの仕分け作業が、
財務省が12月末までに終える予定の2010年予算作成に対して、どのような
影響を与えるかはまだ明らかではない。


 仕分け人が事業の「社会的評価」を与える一方、総合科学技術会議は、
そのプロジェクトに対する科学的な再評価を担う。総合科学技術会議は、
日本の科学政策の最も根幹となる部分を策定する機関である。仕分け作業は
財務大臣によって監修されており、多くの人々はこの事業仕分けの結果が
強大な影響力を持つであろうと確信している。


 この事業仕分けのプロセスは、多くの科学研究プロジェクトや、最も基礎的な
研究資金調達システムのいくつか(※科研費等のこと)にも適用されており、
このことが日本の多くの研究者たちを悩ませている。もしこの仕分けプロセスが
十分に洗練された仕組みの下で実施されれば、研究活動全般における進歩を
得られるかもしれない。研究における透明性の確保と、パブリック・インボルブメント
(市民参画)は、促進されるべきものである。そしてこれらのポイントは、確かに
日本において弱い。これらのポイントを推し進めることで、予算配分の意思決定が
研究機関のトップと官僚との間だけで行われるようなこと(残念ながら、
これは日本ではしばしば起こる)がなくなり、純粋に科学における必要性に基づいて
決定されるようになるだろう。


 しかしながら、これらの仕分け結果をどの程度参酌するかを決定する前に、
財務省はこの仕分け作業におけるいくつかの重大な欠陥を考慮すべきである。


『人々が科学者のなすことを評価するのであれば、科学者自身がその説明をし、
反駁をする機会を与えるべきだ。』



 特にスプリング8をはじめとする10年以上にわたるプロジェクトなどのように、
数千万ドルの長期プロジェクトの価値を、19人の人々に官僚がたった
一時間で説明する、などということが可能だろうか?しかもその19人の中に
研究者はほんの僅かで、挙句その分野の専門家は誰もいないのだ。ましてや
その重要性を彼らに理解してもらえるなど、およそ望めようか?
 そのシンクロトロン(※Spring8)の場合は、30〜50%もの
途方もない予算のカットという判断を、仕分け人たちは下した。その判断が
争う余地無く、決して間違いないものであると考えることができるのだろうか?
このような仕分けプロセスで、この予算カットのもたらす影響がどういう意味を
持つのか、十分に見積もれるのだろうか?


 日本のスーパーコンピュータープロジェクトは、仕分け人たちの判断に
従うなら、恐らく断絶することになるだろう。このプロジェクトの意義を
説明するに際して、国家主義的な「世界最速」というフレーズが使用された。
そのことを仕分け人たちが問題にしたのは、正しいことかもしれない。
しかし、このプロジェクトを再考/縮小/再検討する余地はありうるだろう。
より小規模に切り替えることで、このプロジェクトは科学の進歩に寄与し、
その事業の価値を示せるかもしれない。
 しかしそのような交渉のためには、この新しい事業仕分けの仕組みでは成し得ず、
より深く学術的な意見を必要とするだろう。総合科学技術会議ですら、
官僚(彼らは一般的には科学的バックグラウンドを持ち合わせていない)と
産業界の代表に占められているものであるから、その任に能わない。


 全体として言えば、事業仕分けによって「これらのプロジェクトの価値が
社会にどのように認知されているか」というフィードバックがもたらされたのは、
有益なことである。仕分け途中の大規模公共投資についても、今後の展望を
考える上でこのようなフィードバックは重要であり、研究者はそのような
今後の展望を得てして見失いがちなのだから。


 しかし、深い学術的意見も無く再検討の交渉を打ち切ってしまうのは、
まだ早すぎる。『人々が科学者のなすことを評価するのであれば、科学者自身が
その説明をし、反駁をする機会を与えるべきだ。』



 ある研究者が述べているように、これは今現在おそらく「悪夢のようなこと」であろう。
しかし、1月にその事業仕分けの勧告を採用するかどうか決定する前には、
政府がその仕分け内容に正当な理由付けを与えているはずだ。恐らく、この
仕分けプロセスは今後数年間導入され続け、いずれそれなりに定着する。
そして研究者にとっては、自身の研究を理解してもらうための、克服しうる
チャレンジとして受け入れられるだろう。
 しかし、予算配分の意思決定プロセスにおける事業仕分けの仕組みが
今のままであるならば、次の数十年に悲惨な影響がもたらすような、
その引導を渡してしまう危険性を孕んでいる。
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